『病者の役割』について #3
病人は、全ての義務から解放されるの。
たった一つ、「休む」 ということを除いてはね。
『対人関係療法』に「病者の役割」というものがあります。
健康な人には働いたり勉強したり家事をしたりという役割があるように、病者にも病者の「役割」があるんです。
よく眠り、よく休み、消化のいい食事を摂って、治療に専念する。
そして、自分の問題と少しずつ向き合い、理解して、改善し、克服していく。
それらが「病者の役割」だと、私は考えています。
とにかく出来るだけ多く、ただ休んでほしい。
休むことは絶対に必要なことだから。
うつ病や不安障害といったメンタルの疾患であっても、もちろん同じです。
けれど…
うつ病や不安障害等々のようなメンタルの疾患には、縫い合わせる傷口も、レントゲンでわかる異常所見もありません。
その上、その症状は本人の感覚によることが多かったり、我慢すれば他者に悟らせないこともできてしまうため、周囲だけでなく本人自身でさえ非常に理解しにくいのです。
「気のせいじゃないか」とか、「気の持ちようだ」とか。。
もどかしくてたまりません。
メンタルの疾患も、幸せホルモン=セロトニンや、やる気ホルモン=ノルアドレナリン等々、様々な脳の中の神経伝達物質のアンバランスによって引き起こされる、れっきとした病気です。
また、メンタルの疾患は、センサーが不具合を起こしている病気でもあります。
マラソンで例えたら、罹っていない人は疲れのセンサーが作動するので「そろそろ疲れてきたから、この辺でペースダウンしよう」とか「少し楽になってきたから、またペースを上げていこう」とか調節ができる。
けれど、罹っている人は、このセンサーの具合が悪いから疲れていても気づけなくて、ずぅっと同じペースで走り続けてしまう。
どんなにか息苦しくて疲弊して、つらくてたまらないことでしょう。
だから、自分の病気を見くびったり、差別したりしないでください。
つらいのに、苦しくてたまらないのに、見えなくてわかりにくいものだからって「甘えてる」とか「気合いが足りない」とかと言って、自分を責めないでほしいのです。
これが例えば骨折ならば、そんなことはしないでしょう。絶対に。
区別は必要なものだけど、差別はいらない。偏見も。
そして…
どうしても家族や同僚たちに対して罪悪感が生じて、自分を責めたり卑下したりしてしまうときは、
逆の立場で考えてみてください。
もしも、あなたの大切な友人や恋人や家族が、同じような状態で、同じような罪悪感や自責の念を抱えていたとしたら、あなたは何と言いますか?
きっと、優しくて真面目なあなたですから、
「大丈夫。会社のことは会社が、家のことは家族が何とかしていくよ。
それに、そんな状態で無理に頑張ってしまったら、良くなるものも良くならない。
周りは心配するし、よけい気を遣うことになるんだよ。
今は自分のことだけ考えて。どうしても申し訳ないと思うなら、元気になってから返せばいいよ」
と言うでしょう。
他者には優しいのに、寛容で甘くしてあげられるのに、こと自分となると厳しくなってしまう。
それに気づいて、どうか自分にも優しくしてあげてくださいね。
そのために、まずは「病者の役割」をきっちり理解し、守り、しっかり休む。
ここから始めていけばいいのです。
どうか自分を認めてあげてくださいね。
他の人にするように、自分自身にもとびきり優しくしてあげてほしいと願っています。