社交不安障害を克服したA子さん (前編) #16
今回も、過去に社交不安障害を克服したクライエントさんの取り組みについてご紹介します。
このA子さんも、前回のB子さん(☞#13~14認知行動療法で社交不安障害を克服したB子さん)同様、当時の私の論文執筆にご協力いただいた方です。
彼女も「私の体験が、同じように社交不安障害で悩む人達の役に立てるのなら」と、快く賛同してくださいました。
彼女の意志に敬意を払い、そして、現在も社交不安障害やそれぞれの悩みで苦しんでいる人達に希望をもっていただけることを願って、丁寧に記していきます。
そしてもちろん、彼女のイメージは保ちつつも、そのプロフィールは大幅に変更しています。
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A子さんは18歳の倉庫勤務の女性です。
主訴は、
他人の目が気になる・人が怖い:ファミレスなど周囲に人がいる店で食事ができない、駅の改札でSUICAが使えない、自分に自信がない
などでした。
父親(50歳、会社員)と母親(40歳、専業主婦)との3人暮らしです。
【第1回】
医師の指示によりカウンセリングについて説明したところ、導入を希望された。
仕事の作業着姿。化粧っけはない。
髪は後ろできっちりと一つの団子状にまとめられている。
こちらの話に頷きながら、小さな声で「はい」と言うだけで、終始緊張した表情であった。
【第2回】
前回とはうってかわって、可愛らしく可憐な装い。
薄化粧にウェーブのかかった長い髪を下ろし、痩身に薄ピンク色のレースのチュニックを着ている。
そして、しっかりと通る声で、生育歴(生まれてから今日まで育ってきた歴史)や現病歴(今の病気や症状の、出現から現在までの変化)について話した。
ただ、視線はほとんど合わせようとはしなかった。
◆ 小学時代 ◆
5年生のとき、活発なMさんグループにいた。
ある日、突然、Mさんがグループ内のKちゃんの悪口を言い出した。
それを見て、
《悪口を言われる番が自分に回ってきたらどうしよう。
それとも、知らないところで既に言われているのかもしれない》
と、怖くなった。
それで違うグループに移ったら、その後は何事もなくて、楽しく過ごせた。
◆ 中学時代 ◆
●入学式の日から「臭い。毛深い」と苛められている子がいた。
私も「毛深い」と言われたことがあったから、
《どこにいても、こういうことがあるんだ》と思った。
●2年生になり、
Sさんの髪が細いので、男子が「ハゲ」と呼び始めた。
私の髪も薄いから、《言われたら嫌だな》と心配した。
でも、Sさんは負けずにその男子を追いかけ回していて、羨ましかった。
●二学期になり、ぽっちゃりめで明るかった友だちが「顔がでかい。あつい」と言われ始めて、少ししたら不登校になってしまった。
それ以来、《私はクラスの人にどう思われているのか》ばかり考えて、怖くてたまらなくなった。
●男子から、「大根足」と言われた。
ショックだった。
だけど、必死で聞こえないふりをしていた。
でも、3年生になってもその「大根足」と言われたことが忘れられなくて、
《今もずっと陰で言われてるんじゃないか》という恐怖心を引きずっていた。
●お気に入りのブランドの紙袋を持っていたら、ある女子に「うわっ」と言われて
《あの店の服を私が着ちゃいけないのかな》と思った。
完全に容姿に自信がなくなって、頭痛や腹痛、吐き気もしてきて、学校を二週間休んだ。
その後は頑張って登校したけど、休み時間になると美術室に逃げ込んで、他の人達と関わらないようにしていた。
◆ 高校時代 ◆
大好きな美術専科だったし、友達もできて楽しかった。
でも、友達はお金持ちの子が多くて、絵を職業にするのは無理だと思うようになった。
《自分の力はそこまでじゃないし、目標もないのに無駄かな》とも考えるようになって、
退学を意識し始めた。
結局、親も先生も反対したけど、2年生になる前に辞めた。
◆ アルバイト時代 ◆
アルバイトを始めたら新鮮で楽しかったし、収入があるから洋服やアクセサリーが買えて、
外見にも自信が持てるようになっていった。
だけど一方で、やっぱり、他人と目が合うと見られているような気がしたり、
相手が複数だと笑われているような気がしたりして、
歩く姿勢や目のやり場に困るようになってしまっていた。
◆ 現在 ◆
人が怖いので、従業員が少ない倉庫会社に転職した。
社長と奥さんと、オッチャンしかいない。
社長も奥さんもオッチャンもみんな、50代だと思う。
オッチャンとは何だか初めから気が合って、休憩時間はいつもお喋りしてた。
社長と奥さんも基本的には優しくていい人。
でも、社長と業者さんとのピリピリしたやり取りを見たり、時々注意されたりするうちに
《孤立してるかも》と不安になって、会話や笑い声が気になり始めた。
そのうち動悸もするようになって、工場に行けなくなった。
それで先月、思い切って受診したら、先生から休職を勧められたので、今月から休んでいる。
この前、カウンセリングの説明を聞いて
《薬に頼るだけじゃなくて、自分でも何とかしたい。フツウになりたい》
と思った。
🌸『社交不安障害』についての詳しい説明(☞#15『社交不安障害とは? ~HSPだからと諦めてしまう前に~)=心理教育実施
🌸最後の「フツウになりたい」は、カウンセリング場面でとてもよく聞く言葉です。
それだけ社交不安障害の人達は<自分はおかしい。普通じゃない>と考えて苦しんでいるのだと、
この言葉を聞くたびに切なくなります。
【第3回】2週間に1度のペース
●前回、ここで喋ったら気持ちがずいぶん楽になった。
そのせいか、近所のスーパーや花火大会に行っても大丈夫だったから、
先月末、社長に『そろそろ復帰できると思います』と、伝えてしまった。
だけど、おととい母とショッピングモールに出かけたら、また急に人が怖くなった。
また自信が全然なくなっちゃった。
と、力なく、涙を流しながら小さな声でぽつりぽつりと話す。
🌸「まだとても早すぎる決断だ」と私が直接話すのでは、彼女の芽生えかけた自信を摘み取るだけになってしまいます。
彼女が自分で考え納得するために、さらに質問を重ね、思考の明確化に努めました。
●仕事をきちんとこなせるのか、まだ不安でたまらない。
期待に応えられないと申し訳ない。
でも、自分から『行く』と言ったんだから、行かないと悪い。
➡「A子ちゃんがそんなふうに考えていることを知ったら、オッチャンは何ていうかな?
A子ちゃんがそう言ったとき、社長さん達は何て言ったの?」と質問する。
●しばらく考え込んだあと、
「無理しないで。もう少し休んでいいんだよ」
と答えた。
➡さらに、このまま復帰することのメリットとデメリットを具体的に挙げてもらうと、
デメリットの方が多いことに気づき、自分で復職延期を選択した。
🌸『不安について』の心理教育(☞#4 不安について①②)を行い、
不安はゼロにはならないから、無理に消そうとしなくて大丈夫なことを理解してもらいました。
【第4回】
●怖い気持ちは変わらない。
歩いたり、ご飯を食べたりしているときは、人の目が気になる。
転んだら恥ずかしいし、
かき氷を食べるときに、ブルーハワイやメロンのシロップで舌が変な色になることが恥ずかしい。
たこ焼きやドーナツを食べて、唇に青海苔や粉砂糖が付くのも恥ずかしい。
特に今、一番緊張するのは、駅でSuicaを使って改札を出るとき。
もたついて改札口が閉まったら、後ろの人に《何やってんだよ》って思われちゃう。
失敗して恥をかくのを他人に見られるのが、とても怖い。
と、下を見つめたまま、元気なく話した。
➡他者の視点から客観的に考える質問により、
「現実は、今まで誰からも批判的な言葉をかけられたことはなかった」
と気づく。
🌸不安になったときの対処法として『呼吸法』(☞#6 不安について③~呼吸法~)の心理教育を実施し、
毎日練習することをホームワークにしました。
習得することにより、不安発作が起こったときを想像しても(予期不安に襲われても)、
《私には『呼吸法』があるから大丈夫》と安心することができます。
不安を自分で軽減することができるようになるのです。
この成功体験は、とても重要です。
社交不安障害などのメンタルの疾患は必ず克服できます。
《病気なんだから治る》と考えて、怖がらずに受診し治療を受け、
カウンセリングで適切な知識を得ながら、克服に向かって歩んでほしいと思います。
一人でも多くの人が「自分の人生」を楽に、楽しく幸せに生きていけますように。
一人でも多くの方の、心からの笑顔が見たいと願っています❀
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